ここでは、学校について、教育について、生徒や教師について、多くのことが語られています。もちろんここで述べられているのは、個人的な意見や信念であり、学校教育全般に当てはまらないかもしれません。しかし、経験を積んだ教師が自分に起きた変化を語る言葉には耳を傾けるべきでしょう。そこには「新入り」や「よそ者」には見えづらい、教師がはまりやすい「落とし穴」が語られているように思うからです。
その一つは、教師と生徒の関係はややもすると心理的な対立関係に落ち込みやすいということです。その理由は簡単です。本来的に教師は生徒を指導・管理する立場にいるので、その関係のあり方が心理的に反映するのです。
教師にとって生徒は管理すべき、指示に従うべき存在であると思うがゆえに、生徒の言動に少しでも反抗的で不服従な感じがあると、絶対に許せないという気持ちになるのでしょう。生徒の方も管理者としての教師を感じると、その姿勢に対して反発します。だから、熱心に指導しようとする教師ほど、余計に生徒の前で苛立ち、怒り、疲れるということになります。
しかし、この二人のベテラン教師はコーチングによって生徒は変わったと述べています。その中でも、今までは教師のちょっとした言い間違いでも見逃さず突っ込んできた生徒が教師のミスを責めなくなり、表情もやわらなくなってきたという変化には心惹かれるものがあります。穏やかな表情の生徒を前にしている教師の喜びが伝わってくるような気がするからです。
でも、この場合、生徒が変わったのでしょうか。むしろ、教師が生徒への姿勢(スタンス)を変えることによって、教師と生徒の関係性が変わり、その変化に生徒が敏感に反応している、というべきでしょう。
もう一つ、教師は誰でも口にすることでありながら実際には極めて難しいと思われるのは、教師が生徒一人ひとりをわけ隔てなく扱うということです。おそらく多くの教師にとって、「どんな生徒に対しても、客観的で、平等に接する」というの理念的な事柄であって、現実的な問題というより教師自身の人格や資質の問題であると考えられているのではないでしょうか。
本当にそうでしょうか。20年以上も教職にいる教師に「一人の人間として嬉しい」と言わしめるほどの変化は、彼の人格や資質が変わったから生まれたのでしょうか。
そうではありません。20年間の教員生活の後に訪れた変化は、一人ひとりの生徒とコミュニケーションがとれるようになったから生まれたのだと、彼は言っているのです。そして、そうした状態は「コーチングの考え方と手法を取り入れたこと」によって可能になったと断言しています。
ポイントは、指示・命令を全てなくすということではなく、教師が「声の調子や抑揚、感情にまで気を配りながら生徒の話を聴く」というコミュニケーションのあり方を意識的に取り入れるということです。もちろん、教師にとって、長年慣れ親しんだコミュニケーションのあり方を部分的にではあれ変えることは、とても勇気のいることでしょう。教師としての「立場」が崩れるのではないかという不安がぬぐえないからです。
しかし、今回インタビューした5人の教師が語っているように、教師としての立場は決して崩れることはありません。むしろ逆に、教師に対する生徒の態度や関係のとり方が格段に良くなるのです。このことの重大さは、二人のベテラン教師が忘れかけていた教師としてのやりがいや喜びを取り戻した、という一事をもってしても明らかです。
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