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教育情報・レポート
教育インタビュー
 
 スクールマネジメントレビュー 校長インタビュー  
  改革はスピードが命 状況の変化を恐れるな
 できることはすぐに実行し、先送りしない。それが意識の改革につながる
  八雲学園中学校・高等学校 校長 近藤 彰郎 先生
聞き手…株式会社コアネット副社長 小嶋 隆
   
 
  近藤 彰郎(こんどう あきお)
青稜中学校・高等学校 校長 吉村 睦人 先生

1947年  東京都目黒区に生まれる
1969年3月 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
1969年4月 日本アビオトロニクス(株)入社
1978年3月 日本アビオトロニクス(株)退社
1978年4月 八雲学園高等学校勤務(社会科教諭)
1995年4月 学校法人八雲学園 理事長
        八雲学園高等学校 校長
1996年4月 八雲学園中学校 校長
1998年4月 日本私立中学高等学校連合会 常任理事
2004年4月 東京私立中学高等学校協会 会長

   
 
1996年に休校していた中学を再開した八雲学園中学校・高等学校。再開当時、生徒が集まるのかどうか不安視されていたが、初年度に38名が入学し、以降年を追うごとに入学者数も増加していった。それから10年余り、八雲学園は底辺校から進学校へと大きく変化した。その変化の秘密はどこにあるのか、近藤彰郎先生にお話をうかがった。
   
  小嶋  貴校は1996年に長年休校していた中学を再開したのですが、その際、かなりのご苦労があったと思います。実際、周囲では本当に生徒が集まるのか疑問視する声もありましたし、むしろ今のような状況を想像するのは難しかったと思います。今回は、そのような状況の中、改革をどのように進めていったのか、お話をうかがいたく思います。それではまず、近藤先生が校長に就任される前の状況についてお聞かせいただけますか。

近藤彰郎校長(以下、近藤) 私が校長に就任したのは1995年ですので、中学が再開されるちょうど1年前ということになります。当時は中学を再開する準備をしていて、多少、生活指導を含めた改革は行なわれていたわけです。ただそれ以前はひどい状況で、4時2分には学校に教職員が誰も残っていないという状況でした。
  生徒の質も良くはなかったですね。当時、私は生活指導を担当していたのですが、ほとんど一日中生徒の指導に追われました。生徒が学校から抜け出して、近所で遊んでいるということはしょっちゅうでしたね。
 

   
 
中学の再開を決定するものの塾の反応はまったくなし

 
小嶋  そういう状況で中学を再開することになるのですが、そもそも、中学を再開したのはどのような理由からだったのでしょうか。

近藤 当時の東京都から、1996年3月までに中学を再開しなければ廃校にするという通達があったのです。改めて設置するとなると、この学校の設備ではダメなんですよ。それで教職員に聞いたところ、廃校にするくらいなら再開しましょうよと、全員が再開に賛成したんです。それで、再開に踏み切ったわけです。

小嶋 1996年に多くの中学が再開したのは、そういう理由だったのですね。それで、いざ中学を再開すると決めたときの、周囲の反応はいかがでしたか。

近藤 中学受験の主体は塾だという認識はありましたので、まず塾に挨拶に行ったのですが、そこで八雲学園の知名度がゼロだということに気づかされ、愕然としました。

小嶋 そこで大きな問題に直面したわけですね。まず、八雲学園を知ってもらわなければならないと。
 

 
八雲学園の名前を売り込むため
一年間に一万回の塾回り
 

近藤 はい。そのためには、まず八雲学園がどういう学校で、どのようなことを目標にしているのかを塾に説明しなければならないと思いました。そこで徹底して行なったのが塾回りだったんです。
  とりあえず、塾を回るぞという目標は決めたんですが、どこに行けばいいのか分からないんですよね。それで、最初は人から紹介された塾を中心に回り始めたんです。いろいろな塾を紹介されて、手当たり次第行っていたら、最終的には一年間に一万回も訪問していましたね。

小嶋 一年間に一万回も塾を回るということは、普通考えられないですよね。

近藤 はい。ある人に塾回りを1年間で1万回行ないましたって話したら、それは嘘だろうと言われました。年間200日、学校があるとして、8人で回って一人あたり1日6件以上回らないとだめではと。
  その時に私はこう言ったんですよ「1年は365日あるんですよ。頭で考えるのと、実際に行動するのとでは違いますよ」と。当時は、午前中に授業を行ない、午後に塾回りを始めて、午後8時に学校に戻ってくるというサイクルでした。1日27件もの塾に行った先生もいましたね。

小嶋 それで、塾回りはスムーズにいったのですか。

近藤 最初は、門前払いされることが多かったです。「うちは八雲学園さんは相手にしません」と、露骨に言われたこともありました。それでも、とにかく行きましたね。会ってくれなくても、とにかく名刺だけは置いてくる。それで、また後日挨拶にうかがえばいいと。東京だけではなく、神奈川や千葉、埼玉の予備校まで回りました。駅に着いて、目に付いた塾に片っ端から行くんですよ。飛び込み営業みたいな感じです(笑)。おかげさまで、今ではどの塾も会ってくれるようになりました。

小嶋 一年間に塾回りを一万回行なったというのは、当時すごく話題になって、ある意味八雲学園の伝説となっていますね。この伝説は先生方の実行力あってのものだと思いますが、どうやって先生方を動かしたのですか。


 
がんばる姿を見せることで
周りの人たちが協力してくれる
 

近藤 結局のところ、仕事への考え方ですよ。八雲学園に勤めていて、いやいや仕事をやっているのか、それとも自分の力でこの学校を変えていきたいのか。塾訪問担当の「八人衆」に対しては、一人ひとりと話をしました。膝を突き合わせて飲みながら、この仕事に命を賭けられるのかと聞いたりもしたんです。その結果、皆が命を賭けてくれるということになって、じゃあ一緒にがんばろうと。
  八人衆は塾回りが終わった後も、報告をしたり、翌日の準備をしたり、いろいろ仕事をしていました。その姿を見ているうちに、それに同調する先生も出てきたわけです。それで、帰ってきたらご苦労様ですとお茶をいれてくれたり、パンフレットを封筒に入れるのを手伝ってくれたりと、いろいろ協力してくれるようになりました。そういう協力体制が自然にできあがってきたんです。

小嶋 八人衆ががんばっている姿を見せることで、最初は他人事のように考えていた先生たちも、自分たちのこととして考えるようになったんですね。

近藤 今、一生懸命がんばっている先生の中にも、当時、いわゆる抵抗勢力の側にいた人もいます。でも、その人たちもがんばっている先生たちの輪の中に入ってきたんですよね。逆にそれができない人は、職場の雰囲気になじめなくて、辞めていきましたが。
  今はもう、やる気のない先生はいません。最初から、がんばる先生しか入ってきませんから。八雲学園の先生は9時、10時まで働いているけど、その中でがんばれますかと聞かれて、恐れをなすような人は最初から入ってこないですね。
 

 
中学再開後3年目から応募者数が激増
   
小嶋  1996年の中学再開時は、定員40名に対して、入学者数は38名にとどまりました。その時の先生方の反応はどうでしたか。

近藤 40名は集まるという前提で募集しましたから、正直がっかりしました。ところが、集まらないと考えていた人からは、よくそんなに集まったねと感心されたんですよ。一桁の生徒しか集まらない学校もありますよと。それを聞いて、逆に燃えましたね。冗談じゃない。うちはもっと行けると。

小嶋 それで、翌年は40名の募集に44名入ってきましたね。定員の一割増しですが、それで手応えを感じたのではないですか。

近藤 実際、よく努力しましたねとは言われました。でも、我々はまだまだ行けると思っていたんです。1クラスから始めたけれど、それじゃだめなんです。やはり二クラス以上なければ。そこで、3年目の1998年には定員を80名に増やしたんです。最初は無理だと言われましたよ。でも、2年目に44名入ったんだから、あと16名集めれば、30名学級が2クラスできると考えたんです。それで、いざ蓋を開けてみたら、91名入ってきたんです。

小嶋 そこで、受験生や塾から注目を浴びたんですよね。受験生の数もその時に、424名へと増えています。初年度から比べて、約4倍も集まっているんです。もちろん塾回りの成果もあると思いますが、それ以外にも何か努力されていたことはあるのですか

近藤 学校説明会を学内で年間20回はやりましたね。その上、学外の説明会には30回以上出ています。最初は、10時から5時まで、ひとりも来ないということもありましたが、絶対に気を抜くことはありませんでした。誰も来なくても、姿勢だけはびしっとしていようと。それで、2、3年経つうちに、何人か話を聞きに来てくれるようになったんです。それに対して一生懸命応対しているうちに、周りの学校もがんばってるなと評価してくれるようになり、いろいろな情報を教えてくれるようになりました。うちの学校はこういうことを行なっていますとか。それをまた学校に持って帰ってきて、できることはやってみようということになりました。学校案内や入試の参考には相当なりましたね。
  ただ、いただいたアドバイスの中には、八雲学園のレベルではまだやっても意味がないというものもありましたので、自分の学校のレベルを把握して、情報を取捨選択していきました。

小嶋 「学校のレベルを把握して情報を取捨選択する」というのは具体的にはどういうことですか。

近藤 例えば、進学実績を上げるためにカリキュラムを変えたいと思っていても、当時の本校のレベルでは東大に何名も入れているような学校の事例を参考にしても現実的に無理なんです。自校のレベルを客観的に把握して、その上で目標実現に向けての段階を踏んでいくことは大切だと思います。
 

 
保護者が宣伝したくなる学校を目指す
    
小嶋  再開3年目にして、募集活動はかなり軌道にのったようですが、入ってきた生徒や親たちに対するケアはどうされていましたか。

近藤 入学してきた生徒の期待に応えられることは全てやる、という姿勢でした。当時は毎日のように保護者から電話がかかり、今と比べるとかなり手がかかっていたのですが、一つひとつ誠実に対応していきました。また、中学を再開するにあたって、英語教育の充実を掲げていたのですが、英語科の先生一四名が総がかりで取り組み、どの生徒も入学して二カ月のうちに、一分半の英語の暗誦ができるようになりました。親は感動してくれましてね。うちの子は挨拶もできないのに、英語を一分半暗誦したと(笑)。
  あと、僕は保護者会をやった後、必ず茶話会をやるんです。その中で親に対してこう言うんです。学校のいいところは塾に話してください。逆に悪いところがあったら、学校に伝えてくださいと。

小嶋 言うなれば、親を巻き込んだ広報活動ということですよね。

近藤 いちばんの広報担当はあなたたち親なんですよ。あなたたちが宣伝したくなるような学校にするために、ぜひ協力してくださいと。そういう部分はすごく大切にしましたね。
 

 
生徒の数が多くなるにつれ先生の意識も変わっていく
 
小嶋 ところで、受験生の数が増え、入ってくる生徒の数も多くなったことで、先生方の意識も変わっていったのではないですか。

近藤 変わりましたね。やればできるんだと。それと、1クラスだったのが2クラスになり、生徒数も100人近くに増えたことで、生徒の親が喜んでくれました。
  組織や人事の改革も行い、賞与については、評価によって差をつけるようにしました。
  一方、先生たちとの意思の疎通を図るため、食事会はよく行ないました。そのときに、生徒の様子や受験情報など、いろいろな情報を交換して、今後の方針を決める際の参考にしました。それと、毎日朝礼を行って、全員が同じ情報を共有できるようにしました。
  また、本校では毎年、3月に翌年度の人事を発表して、その後に全員で宿泊ミーティングを行うんです。その時に、学校としての年度の振り返りと、次年度の目標を発表します。そこで、来年度はまたゼロからスタートして、新たな目標に向かおうと、皆の結束を固めるんです。
  そして、毎年4月1日には新人を含めて箱根で合宿を行ない、そこでまた意思の確認を行ないます。

小嶋 年度始めに目標を立ててモチベーションを高めても、それを一年間持続させるのは難しいですね。一年間そのモチベーションを持続させるための工夫はありますか。

近藤 いちばん大事なのは、お互いに刺激を与えあうことです。そのためには、朝礼が効果的なんですよ。うちの学校では、気づいたことを朝礼で指摘し合うんですよね。いくらがんばろうとしても、疲れがたまってくると、どうしてもだれてしまいます。そういうとき、すかさず誰かがそういうことでいいんですか、と指摘すれば、ああ、ちょっとだれていたかなという自覚が持てますから。日々の刺激が重要なんです。
  あと、行事が終わった後に打ち上げを行なうんですが、その場でトラブルなどを報告させるんですよ。そこで謝れば、その話はもうおしまい。そうすれば、わだかまりもなく次に移れます。普段から明るく、言いたいことは言える職場の雰囲気をつくるようにしています。ある意味、体育会系のノリですね(笑)。

小嶋 先生方の意識改革を行なっていったと同時に、事務方の意識改革も併せて行なう必要があったと思うんですが、その辺りはどうでしたか。

近藤 以前は教職員と事務方は意思の疎通もとれていなく、お互いの仲は決して良くなかったですね。私自身は副校長と同時に、事務長と生活指導をやっていましたから、校内を回りながらそれぞれの不満を聞いて、問題点を一つひとつ解決していくようにしました。今では、教職員と事務方が一緒になって教育しているんだという意識を持つようになったんです。生徒の服装が乱れていたときは、事務の人が注意することもあります。食事も教職員だけでなく、事務方も一緒に行きますし。

小嶋 やはり、教職員と事務方の意思の疎通がうまくいっていない学校は、改革しようとしても、うまくいきませんからね。

近藤 現在はマナー教室に事務方を行かせて、電話の応対からドアの開け方、メモの取り方まで、学ばせています。今では、毎週自分たちでミーティングを行なっていて、気がついたことをお互いに指摘しあっていますよ。事務方は学校の顔であるということを意識して、自発的にやっていますね。

小嶋 そのほか、内部的に変わったなという点はありますか。

近藤 理事会と現場の意思を一本化したことで、物事の決断が早くなりました。たとえば、中学を再開してしばらくの間、門が打ちっぱなしのコンクリートのままだったんです。それを、塾の先生から公立校みたいだねと指摘されたことがあるんです。校庭には花もないし、とにかく殺風景だったんですね。それで、すぐ業者に電話して、門を替えるよう工事を依頼しました。普通だったら予算をどうのこうのということからやらなければいけないんでしょうが、それでは時間がかかりますので。1カ月後には、門が新しくなっていました。そうすると、塾の先生たちもびっくりするんですよ。本当に変えたんですねって。それで、校庭にも花を植えたりして、雰囲気をどんどん変えていったんです。そうなると、内部の先生たちからもああしたらいい、こうしたらいいという意見が出て、皆でいろいろなことを変えていこうという雰囲気になっていくんですね。
 

 
足りないところは外部から積極的に補充
 

小嶋 改革を始められてから四、五年ほどたつと、世間にも八雲学園の名前が知られるようになってきたのではと思います。そういう状況になって、次の戦略を考える必要に迫られたと思いますが、その点はいかがでしょうか。

近藤 学校が変化していって、ある程度の結果が出ているときに、次に何をやるかということを打ち出さなければならないんですが、これがいちばんきつかったですね。何をやるのかと聞かれて、じゃあ、大学受験に力を入れますと言っても、入った生徒はまだ受験前なので、結果が出ていない。正直言って、4、5年目の頃が停滞の時期でしたね。我々は次に何をすればいいのかということに悩みました。
  それで、とにかく、勉強をするんだという雰囲気にしていこうということで、補習を充実させました。夏休みにも先生たちに講座を持たせて、生徒が常に勉強できる体制を整えましたね。
  また、4、5年前から予備校のトップ講師を呼ぶようにもなったんです。今ではミーティングを一緒に行なうなど、外部の講師たちと協力し合いながら、カリキュラムを組んでいます。

小嶋 講座が増えることで、先生方の負担が増えますよね。それに対する先生方の反応はどうでしたか。また、予備校のトップ講師を入れることに抵抗はなかったのですか。

近藤 うちの場合は、そういうことをいやがる先生はいませんでしたね。やる気のない先生がすでにいなくなっていたということもあるんでしょうが、逆に自覚があるんですよ、自分たちにはまだ力が足りないという。それで、自分から予備校の講座に行かせてくれという先生もいましたね。

小嶋 自分たちに足りないところは、外部から補充しようということですね。

近藤 本校では、そういった意味のアウトソーシングは積極的に行なっています。さきほどお話しした事務方のマナー教室もそうですし、先生の服装についてカラーコーディネーターにアドバイスしてもらったりもしています。やはり、先生のやる気があると、そういうこともスムーズにいくものだと思いました。
 

 
今の状態を常にゼロと考えて次の目標に向かっていく
 

小嶋 中学再開から今年で12年になりますが、そろそろ、改革も新しい段階に入る頃かなと思います。そこで、これからの目標をどこに置いているのか、お聞きしたいのですが。

近藤 とにかく、日本一の学校になろうと言っています。それについては教職員と毎日、意思の確認をしています。では、日本一とは何なのか。もちろん、東大に多く入れることもそうですが、ただ、生徒が東大に入ったからといって、それだけでは必ずしも意味はないんです。やはり女子教育を長年行なってきたわけですし、人からいい教育を受けてきたねと言われるような女性に育てたいです。我々は道徳やマナーに重点を置いた教育を行なってきました。それもやりながら、受験に対しても目いっぱい努力していく。総合力で、日本一の教育を受けてきたんだね、と言われるような教育を行ないたいですね。

小嶋 それでは最後になりますが、これから改革をしようと考えている学校に対してのアドバイスや、気をつけるべき点などがありましたら教えていただきたいのですが。

近藤 そこそこ生徒が集まっている学校がこれから先、生き残るためにはかなりの努力が必要だと思います。危機意識がなければ、数年で落ちてしまいます。常に改革の意識を持って、ゼロの状態からスタートする。そういう意識を常に持っていないと、あっという間に落ちてしまうと思いますね。
  あと、現場で汗をかいて閃いたことは、すごく大事だと思っています。頭のいい人が机の上だけで考えたことと、ものを考えない人が現場だけやっていることは同じなんです。それが合体しなければ意味がないんです。頭を使う人間が、現場で汗を流して初めて、ああ、こうしなければいけないんだということがわかるんです。私自身、頭で考えたことを現場でやろうとして、ああこれじゃダメだと感じたことは何回もあります。やはり、現場で汗を流すことはとても大切ですね。


   
 
聞き手 小嶋 隆(こじま たかし)

1968年神奈川県横浜市に生まれる。自身も中学校受験を経験し、中学・高校・大学を成城学園に学ぶ。
大学卒業後、株式会社富士銀行にて4年間勤務。
1996年10月株式会社日能研関東予備校 取締役副社長に就任。
その後、株式会社三和総合研究所に出向し、コンサルティング業務を担当。
2000年株式会社コアネット代表取締役副社長に就任。
毎年200校を超える学校との交流がある。

   
  「私学マネジメントレビュー」第22号(2007年6月発行)より転載
   
   
 
 
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