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教育インタビュー
 
 スクールマネジメントレビュー 校長インタビュー  
  反対するなら代案を示せ
 リーダーの圧倒的牽引力が改革を成功に導いた。
  世田谷学園中学校・高等学校 校長 林 秀穎 先生
聞き手…株式会社コアネット副社長 小嶋 隆
   
 
  林 秀穎(はやし しゅうえい)
世田谷学園中学校・高等学校 校長 林 秀穎 先生

1938年 東京都港区に生まれる。
世田谷中学・高校を卒業、駒沢大学仏教学部卒業後、永平寺に安居修行。駒沢大学大学院にて禅学を学ぶ。
1971年 世田谷学園に勤務、国語と宗教を担当。
教務主任、専修科主事、統括を経て、2003年7月より校長就任。
港区三田常林寺住職。

   
 
 かつては学力が低く、中学受験生も少なかった世田谷学園。
  しかし改革着手後20年で急激に大学合格実績を伸ばし、学校や生徒に対する周囲のイメージも大きく変わった。この急成長の影には「中高一貫の進学校になる」というリーダーの熱い想いと、目標に向かって必死に努力した教職員の存在があった。
  世田谷学園のこれまでと今後について、校長の林秀穎先生にお話をうかがった。
   
  小嶋 貴校は、ここ20年ほどで急激に大学合格実績を伸ばし、「進学校」というイメージがすっかり定着しました。また、生徒さん達の礼儀正しさは男子校の中でも他に例を見ないほどです。貴校の以前を知っている者からすると、本当にイメージが変わったな、と感じるのですが、変わるきっかけ、また、変わるためにどのようなことをされたのかなどについて、本日はお話をお聞かせくださればと思います。
  早速ですが、改革前の様子からお聞かせいただけますか。

林 秀穎校長(以下、林) 私が教員として本校に来ましたのは昭和40年代ですが、その頃から約20年ほどは高校が主体で、中学は一クラスしかありませんでした。しかも、その中学の生徒を集めること自体がかなり厳しい状況でした。ですから、当時は中学を閉鎖してもよいのではないかという声が校内でも出るほどに、中学募集は疲弊をしていた時代でした。高校はあまり偏差値は高くなかったものの、多くの応募者がありました。ただそれが1982年、山本が校長に就任してから「中学をつぶすことはできない」ということで、中学募集に力を入れるようになってまいりました。山本校長には、進学校を目指すには中高一貫校でなければ、という考えが当時からあったのでしょう。ですから中学をつぶさないと同時に、高校のレベルを上げることも視野にあったのだと思います。

小嶋 学校も企業も同じだと思うのですが、一度あるイメージを持たれてしまうと、それを払拭するのが大変だと思います。貴校の場合はどうされたのでしょうか。
 
 
進学校になるためにまずすべきことは従来のイメージの払拭だった
   
 今では全くそのようなことはありませんが、修学旅行に行くと、どうやって他校の生徒とけんかをさせないようにすればよいかに四苦八苦する時代もありました。進学校になるためには、まずそのイメージを払拭しなければなりませんでした。本校は1983年に中高一貫カリキュラムを導入したのですが、その際に校名も「世田谷中学校・高等学校」から「世田谷学園中学校・高等学校」に変更しました。それまでは公立なのか私立なのかよくわからない名前でしたので、ひと目で「私立中学である」ことがわかるようにしたのです。その後もイメージを払拭するため、さまざまな活動を行いましたが、一番効果が高かったのは1991年に導入したCI(コーポレート・アイデンティティ:企業の個性を明確にして企業イメージの統一を図り、社の内外に認識させること)だったと思います。

小嶋 CI導入の事例は企業ではよく見られますが、学校での導入は他にあまり例を見ないのではないでしょうか。その内容について具体的にお聞かせいただきたいのですが。
    
 
CIの検討に多数の教員を巻き込んだことで
学校全体の意識も統一された

 
 まず校内で「世田谷学園CI委員会」という委員会をつくりました。構成員は校長以下11名です。最初はこのメンバーで現状の問題点に関するディスカッションを行い、それに基づき、卒業生、在校生、通学圏の小中学生父母、全教職員を対象に本校のイメージに関するアンケートを行いました。また、本校から発信していた広報資料等のイメージについてもチェックを行いました。これらの活動を踏まえていったんトータルコンセプトがまとまったのですが、その後、委員以外の教員も参加して5つのサブ委員会(教育計画、教職員コミュニケーション、学園生活、対外広報、内部広報)を設け、コンセプトについての詳細なディスカッションを行いました。これによりCIの活動が委員だけでなく、学園全体に広がって行きました。
  実は当時は私もリーダーとして、まだ実現できていない目標を明確に示すことに少し引け目を感じていました。しかし、そのような教員の声を聞いて、目標と到達点をはっきりと示すことがリーダーの役目であり、改革の第一条件だと自覚しました。それで、改めて教員を集めて本校の目標について話をしたのです。そこである程度、教員全体の意思統一が図れたと思います。
  例えば、「進学校にする」という目標があっても、まだ実績が出ていないのに「国立大学、難関私立大学○○名進学」と言うのがおこがましく、言葉を濁していた部分がありました。しかしそれでは教員もどうすればよいかわからないわけです。
  実際に具体的目標を示してみると、逆に教員から「それを実現するのであれば、入学者のレベル、教える中身をこう変えなくてはいけない」など、意見を出してくれるようになり、学校全体の意識が高まりました。改革にはまず全員の共通理解が必要なのだと痛感しましたね。

小嶋 CI自体が、学校全体の意識をまとめる効果も発揮したのですね。この活動による成果についてもお聞かせいただけますか。

 やはりCIにより、教育理念の再構築ができたことが大きな効果だと思います。従来は「身心学道」であるとか、「行学一如」であるとか、そういった禅語が教育理念だったのですけれども、それが検討の結果「天上天下唯我独尊=Think&Share」となりました。

小嶋 我々も仏教校なのに教育理念に英語が使用されている、という部分に当時はかなりのインパクトを受けました。このギャップ感が、イメージ払拭にも効果を発揮したのではないでしょうか。シンボルマークなどを変えられたのもこの時期でしたね。
 
 
理想ばかり大きく打ち上げてもメンバーはついてこない
   
小嶋 学校としての目標を、先生一人ひとりに理解してもらえる形に落とし込んで伝えていったのですね。

 はい。さきほど、目標と到達点を示すのがリーダーの役割だとお話しましたが、そればかりでもいけないのですね。目標を示すことは大切なのですが、それだけでは、メンバーはついてきてくれません。実際に学期中に5名もの教員が一度に退職届を出したこともあります。私の思いの伝え方が足りなかったのでしょう。でも「去る者は追わず」と。「いつか、本校も花開く時が来る。その時は『ああ、あそこも立派な花が咲いたな』と、君達も外から、たまには眺めてくれよ」というようなことを言いまして、負け惜しみのような形で退職届を受け取ったこともありました。そのような経験をしながら、教員一人ひとりと向き合うことの大切さを学びました。

小嶋 組織としての目標を掲げること、それを個々人に理解してもらえる形で伝えること。どちらも教員のモチベーションを高く保つために必要だということですね。組織が形を変えようとする時には、ものすごいエネルギーを必要とするのだということが、実感として伝わってきます。

 教員が一度に退職した時も、怪我の功名と言いますか、逆に残った教員達のつながりが強くなる、といった事もありました。今は教員みんなが頑張ってやってくれておりますけれども、中学校開設当初は本当にいろいろなことがありましたね。学校としても当時は定員を集めるだけで精一杯でしたし。生徒達の入学時の偏差値は今より15〜20も低かったのではないかと思います。開校して12年で、ようやく「進学校」としてのイメージがかなり強くなってきました。学校内の組織も落ち着いてきましたので、当初の計画どおり、中学と高校を同じ校舎にすることになりました。このやり方ですと、最初から同じ校舎にするよりも、お金が余分にかかります。遠回りをしたようにも見えますが、今は、時間をかけてやってきたことが、結果的に良かったと思っています。

小嶋 先生方のモチベーションや考え方も、中学開校当初と現在では随分変わってきたでしょうね。現在は特に入口でも出口でも、結果を出し、着実に伸びていますし。

 そうですね。良くなった部分も多くあると思います。しかし、開校当初と比べて現状を守ろうとする教員が多くなっているのも事実ですね。「ここまで来れたからもういいじゃないか」というような。今は、外からの刺激を常に受けながら、同時に自分自身を見つめながらやっていくという、改革というか、教員のモチベーションを保っていくのが、大変難しいことだなということを痛切に感じています。

小嶋 今後さらに改革を進めるためには、現状に慢心しないための仕掛けのようなものが必要だということですね。そのために、何をされていますか。

 教育理念だけでなく、学園コンセプト「仏教・禅の人間観・教育観に基づく教育と近代的な学校運営により、社会に貢献する人材を育てながら、自らも成長しつづける学園」もこの時につくりました。また、学校としての社会的使命、経営理念、教育理念、学園モットー、活動領域、行動基準などを決め、学園全体として一つの方向を目指せるようにしました。校章、コミュニケーションシンボル、シンボルキャラクター等もこの時決めたものです。

小嶋 CIにより、学園の目指す方向がはっきりしてきたと思うのですが、学内で反発は無かったのですか。歴史と伝統がある学校というのは、それが弊害になることもあるでしょうし。「これまで長くこのやり方でやってきたのに、何でそこまで変えなくてはいけないんだ」という意見もあったと思うのですが。

 当時はCIや広報活動などについて教員もなじみがなかったせいか、「学校というものは、商業ベースに乗ってはいけない」というような雰囲気が学校全体にありました。いわゆる生徒が「お客さま」という感覚はその当時はなかったですね。

小嶋 そういった雰囲気を変えたのはやはり山本先生なのでしょうか。
   
 
「良いと思ったことはすぐにやる」
「理由を提示しなければ反対すること自体認めない」
という、校長の圧倒的な牽引力
   
 山本校長の指導力というか牽引力というか、それはもう圧倒的なものでしたから。それに反対するには、きちんと反対する理由を提示しなければ、反対すること自体認められないという状況でした。

小嶋 仕組みとして、「反対するなら代案を持ってこい」と。ただ「できない」ではなく、「できない理由を説明しろ」と。

 ですから非常に論理的でした。

小嶋 なるほど。そういった状況下で、徐々に先生方の意識も変わっていったのですね。山本先生とは私も何度かお話させていただいたことがあるのですが、やはり意思決定がすごく速いことが印象に残っています。良いと思ったことはその場で「じゃあ、それはやる」というような。なかなかできないことだと思います。その山本先生の勢いが、貴校の改革の時期とフィットしたからこそ、先生方からもあまり不満が出なかったのでしょうね。

 新しいことがトップダウンでどんどん来ますから、それをどうこなしていけばよいかと戸惑ったこともありました。その時期、私は教務主任でしたから、仕事量は相当のものでしたね。ただ山本校長は「なぜこれをするのか」という、行動の理由を職員会議で事前に話してくれましたので、そのあたりは納得をしながら実行に移すことができました。

小嶋 改革に際して数値目標のようなものはあったのですか。
 
 
とても達成できないと思える目標でも、
目標があれば具体的な対策を立てることができる
   
 本校の場合、当時から今まで、常に進学目標という形で数値目標を出しています。CIを導入した一九九一年に出した目標は「東大三〇名、早慶一〇〇名」でした。その当時は駒沢大学に合格者を 出すのがやっとという状況だったにも関わらず、山本校長は全校朝礼でその目標を突然発表しましたから、我々は驚きました。生徒達からも「まさか」という雰囲気で笑いが出ましたね。でもそれが、「世田谷学園は将来こういう学校を目指す」という山本校長の決意だったのだと思います。在校生の保護者にも同じ内容をアナウンスしました。

小嶋 教職員のみならず在校生、保護者まで含めて「こう変えるよ」とアナウンスをされたというのにはちょっと驚きました。こういう言い方は失礼ですが、生徒さん達から笑いが出るというぐらいですから、当時はとても達成できない、という目標だったのでしょうね。それが今はもう手の届くところまで来ている訳ですから。やはり最初に進学目標を数値化して示したのが成功の秘訣なのでしょうね。明確な目標があれば先生方もどうすればよいか、具体的な対策を立てることができますし。六大学レベルを目指す生徒と、それ以上を目指す生徒では当然、教え方も違ってきますしね。

 要するに、東大の受験生を教えられるような先生にならなければいけない訳ですから、それに対する目標値や、教育も厳しかったです。例えば英語ですが、 当時は英会話のできない英語の教員がいましたので、「英語の教員なのに英会話ができないのではどうしようもない」と、英語科の全教員をカナダに連れて行き、研修を行いました。それを始めとして、他の教科でもさまざまな研修を行いました。それから、いろいろな塾に教員を派遣し、そこで教えるという体験もしてもらいました。教員にとっては塾へ派遣されて評価されるという体験がいちばん厳しい研修だったかもしれませんね。
  それから、進学指導についてもさまざまな検討を行いました。その当時本校では、進学といってもそれほどの戦略は持っていませんでしたから、まずは進学指導に力を入れている他校を見学に行きました。他校を直に見て話を聞けたのは本当に勉強になりましたし、触発もされました。
  その後校内で検討を行い、「進学の手引き」をつくりました。これは一九九五年から配布を開始しましたが、大学選択の方法や受験方法だけでなく、東大、早稲田、慶応などの教科別学習方法も載せています。また、中学1、2年を「前期」、中学3年〜高校2年を「中期」、高校3年を「後期」として、それぞれの時期における家庭学習の仕方、教科別学習方法、進路決定の仕方等を細かく記しています。これを全学年に配布することで、早い段階から進路について意識を持ってもらおうというのが学校としてのねらいです。
  また、本校では「コンパス」と呼んでいますが、一般的に言うシラバスも2000年から学年ごとに配布をしています。

小嶋 今でこそ一般的ですが、当時はシラバスのはしりと言ってもいいでしょうね。早い時期にそういったことができたのは、先見の明もおありだったのでしょうが、やってみて、悪かったらまた変えればいいという貴校の姿勢の成果なのかもしれませんね。
  話は戻りますが、「東大30名、早慶100名」というマニフェストをまずドンとぶち上げ、校内、校外ともにインパクトを与える。マニフェストがあるからこそ学校内部も変わらなくてはならない、先生方もスキルアップしなければならない、という流れですね。しかも貴校の場合は高い目標を掲げたからこそ、改革のスピードも相当速かったのではないでしょうか。
  ここまで、マニフェストや数値目標、それにともなう内部改革のお話をうかがいましたが、そうやって学内統一されたイメージ、目標を外に伝えていくことが改革の上で重要だと思います。そのあたりはどうだったのでしょうか。

 知名度という点でも本校はとても低かったですから、それを上げるためには何でもやりました。学校や塾を訪問したり、三軒茶屋の駅にポスターを貼ったりと、できるだけ多くの方達に本校について知ってもらえる努力をしました。広報材料としては、数値目標に加えて一九九四年、高校に理数科をつくったことが大きかったですね。その後特進クラスもつくりましたが、当時本校の学力レベルを上げたのが理数科でしたから。

小嶋 今でこそ「広報」という単語が定着して、どの学校にも広報部のような分掌が設けられていると思いますが、当時「広報」という言葉はあまり耳慣れなかったと思います。塾訪問活動などについて、ご苦労はありましたか。

 広報活動を始めた頃は、手探りで良い方法を模索していました。高校募集の場合は、募集時期になるとパンフレットを持って全教員で中学校を訪問していました。それからしばらくして、学内で説明会を実施するような形を取りました。
中高一貫体制をとってからは募集活動が中学募集主体となりました。小学校は中学受験に対してあまり熱心ではありませんから、塾訪問活動が主流になりました。塾訪問活動は五、六名の担当の教員が中心となって動いています。その主な目的は、保護者の方に本校を知っていただく前に、まず塾の先生方に知っていただくということでしょうか。

小嶋 なるほど。やはり塾というのは、エンドユーザーに伝わる前の、例えれば「小売店」ですからね。
 
 
塾訪問をすると、入学前に入ってくる生徒のレベルや雰囲気を
知ることができる
    
 塾訪問活動のもう一つのメリットは、訪問活動をすることによって入学してくる生徒のレベルや雰囲気といったものを事前に知ることができることです。塾訪問を始めて、事前に本校への入学を希望する生徒を知っておいたほうが、入学後スムーズに授業に持っていけることがわかりました。また保護者の方が本校に何を期待しているのかも知ることができます。これも学校運営に非常に役立ちます。

小嶋 すごく説得力のあるお話ですね。塾訪問をされる先生方も、ただ「外を見てこい」と言われるよりも「入ってからだとワンテンポ遅れるから、先に見に行ってこい」と言われたほうが、目的が明確で動きやすいですね。

 そうですね。ですから今、本校の組織の核になっているのは、そうやって外に出て、いろいろな発見をしてきた教員達です。

小嶋 学校説明会についてはいかがですか。私は貴校の説明会が、ある時期を境に大きく変わった、というイメージを持っているのですが。大変失礼な言い方ですけれども、当時は偉いお坊さんが壇上に大勢いらっしゃって、保護者から「ちょっと多すぎて気持ちが悪い」というような話も出ていましたが、ある時期から宗教色があまり前面に出なくなり、イメージチェンジをされた、という印象を受けます。

 私は学園のアイデンティティ、つまり理念として仏教があるということは隠す必要はないと思っています。本校の方針に賛同される方に入学していただきたいという思いは昔も今も変わりません。しかし、仏教の学校といいましても、全ての行事に宗教を取り入れている訳ではありませんし、海外学習などにも力を入れています。その意味では説明会で本校のありのままを見ていただけるようにした、と言ったほうが良いかもしれませんね。

小嶋 変えたのは中身というよりも、見せ方だということですね。それは説明会だけでなく、貴校の学校案内等を見ていても感じます。例えば坐禅の写真などは最後のページに1、2枚ある程度ですとか。今の新しい校舎も、一見キリスト教系の学校のような印象を受けます。また、建学の精神に加え、受験生や保護者が喜ぶことはできるだけやっていこうというのが、さまざまな形で表れているなと思います。例えば説明会でおしぼりを出したり、入学試験後の手続き期間を延長したり、昨年の入試から受験に筆記用具を持ってこなくていいですとか。入学後について言えば、特進コースのような、噴きこぼれの生徒を伸ばしていくためのコース設置や、帰国生の受け入れなどもそうですね。

 生徒や保護者にとって良いと思うことはできるだけスピーディーにやろうと考えています。最近では理事会も非常に学校に協力的ですから決定も早いですね。

小嶋
 そのあたりがすごくうまいので、ここまで人気が出たという気がしますね。でもここまでスピーディーな改革を行われても今のようになるには20年かかったというのですから、やはり学校がイメージを変えるには相当のエネルギーが必要だということを実感しました。
  2000年、桜井先生が校長に就任され、続いて2003年、林先生が校長に就任されました。今、改革の流れがどのように受け継がれているか、また、今後どのような学校を目指されているのかについてお話をいただきたいのですが。
 
 
今すべきは内部的な充実 そして「平常心のレベルを上げる」こと
   
 私が校長に就任してから2年半になります。校長に就任してまず最初にやったことは、山本校長、桜井校長がこれまでやってきたことが、現在きちんとできているかどうかの点検でした。学内で、行事、宗教行事、国際交流、進路などのプロジェクト・チームをつくり、1チーム1一つのテーマについて話し合ってもらったのです。計10チームができたのですが、それぞれのチームで必ず週に一度会議を開き、その結果を報告してもらいました。それを昨年1年間やり、今その結果をチェックしているところです。

小嶋 PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Actionの流れで物事を見直すこと)でいうと、今はCheck(見直し)の段階だということでしょうか。

 仏教用語にも「脚下照顧」という言葉があります。常に自分の足元を見つめ、プロセスを確認することは物事を進める上で重要です。その作業を行った上で、付け加えるべきこと、削除しても良いことをまず精査することから始めたいと思っています。改革のスピードも速かったのですが、山本校長、桜井校長が相次いで亡くなり、教員達も「これから本校はどうなるのか」と不安に思う時期がありましたから、ここで一度これまでやってきたことを見直す時期に来ているのだと思います。ただ、不安な時期をともに過ごしたからこそ、組織の結束力は強くなっているように感じます。
  また来年度からは、教員の研修にもう少し力を入れようと思っています。今後も生徒の学力レベルが上がっていくでしょうから、教員達もそれをきちんと教えられる指導陣でなくてはならない。常に教員も学び続けなければなりません。内部的な充実というのは派手な動きではありませんから、アドバルーンにはならないかもしれません。ただ私は、今の世田谷学園はやはり内部的な充実に力点を置く時期だと思っています。

小嶋 実は、日々レベルアップしていくことがいちばん難しいですよね。先生方も日々の業務に追われると思いますし、重要度の高い仕事は手間がかかるので後回しにしてしまう、というケースもあると思います。ですから、レベルアップをいかに当たり前のこととしてやっていけるか、というのは大切ですね。

 日々のレベルアップのためには、当たり前のレベルを上げて行くことが重要だと思うのです。山本校長はそれを「平常心のレベルを上げる」と表現していましたが、それと同じだと思います。本人にとっては当たり前のことでも周囲から見たら「こんなことが軽々とできてすごい」と思われる。そうやって成長していくのが学校としての理想ですね。

小嶋 その表現はとてもわかりやすいですね。例えば、スポーツに例えると、サッカーだったら強いチームのパス回しは、彼らにとっては当たり前なんだけれども、弱いチームから見たらレベルが全然違うというような話ですね。「平常心のレベルを上げる」のは先生方だけでなく、生徒達にも言えるし、組織としても必要なことですね。
   
 
最後に、これから改革をしようという学校、改革を試みているものの、
なかなかうまくいかない学校に対して、
アドバイスがあればいただきたいのですが
 
 そうですね。やはり一番大切なのは、学校として、保護者が何を望んでいるかを知り、それにどう応えられるかを考えることではないでしょうか。それは私学が「私」という存在である以上、避けて 通れない、いちばん重要な要素だと思います。それは保護者の要求すべてをのみ、迎合することではなく、お子さんを預かって保護者が本当に望む姿に育てる、というようなことだと思います。

小嶋 保護者にこびへつらうのではなく、ニーズはニーズとしてきちんとくみ上げてやって行かなければならないということですよね。

 それから、改革をする際には何もしないで「無理」「できない」とは言わない、ということでしょうか。これらはアクションを起こした人間しか使えない単語だと思うんです。やってみて初めてわかることもありますから。例えば、本校では生徒がニュージーランドでホームステイしています。これまで引率の教員はホテルに泊まっていたのですが、昨年から教員もホームステイをやることにしたんです。最初は躊躇していた教員も実際に体験して「良かった」と言っていました。これは一例ですが、他の部分も同様だと思います。

小嶋 長時間にわたりありがとうございました。本日お話をうかがって、貴校の躍進の秘密をかいま見たような気がいたします。
   
 
聞き手 小嶋 隆(こじま たかし)

1968年神奈川県横浜市に生まれる。自身も中学校受験を経験し、中学・高校・大学を成城学園に学ぶ。
大学卒業後、株式会社富士銀行にて4年間勤務。
1996年10月株式会社日能研関東予備校 取締役副社長に就任。
その後、株式会社三和総合研究所に出向し、コンサルティング業務を担当。
2000年株式会社コアネット代表取締役副社長に就任。
毎年200校を超える学校との交流がある。

   
  「私学マネジメントレビュー」第17号(2006年1月発行)より転載
   
   
 
 
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