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これから中高生はどのように変わっていくか |
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財団法人日本青少年研究所所長 千石 保氏 |
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千石保(せんごく たもつ) |
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財団法人日本青少年研究所所長・弁護士。
一九二八年富山県生まれ。早稲田大学法学部卒業。
東京地検検事、総理府青少年対策本部参事官などを経て、一九七六年に財団法人日本青少年研究所を設立し今日に至る。総理府時代に手がけた「世界青年意識調査」は各界に大きな反響を呼び、青少年に関する調査研究の第一人者として知られる。
著書に『日本の中学生』『日本の若者・アメリカの若者』『日本の高校生』(以上NHKブックス)、『現代若者論』(弘文堂)、『「まじめ」の崩壊』(サイマル出版会)、『マサツ回避の世代』(PHP研究所)、『「まじ」の哲学』(角川書店)、『「普通の子」が壊れてゆく』(NHK出版)など多数。 |
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中高生の意識は分かりづらい、気持ちの変化が読めない、といったことは、教育現場にいらっしゃる先生であれば、一度ならずお感じになっていることだと思います。特に、ここ数年の中高生の意識変化はめまぐるしく、ベテランの先生でも手を焼くというお話をお聞きすることも少なくありません。
今回は、若者の意識について、主に社会的な変化の中で捉え、また諸外国との比較の中で日本の特徴を分析するアプローチで長年研究を続けられている日本青少年研究所の千石保所長に、今の中高生がどのような意識を持っているか、これからどのように変わっていくか、学校はどのような役割を担うことができるのか、といったことをお聞きしました。 |
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千石先生は、国際比較の観点から日本の中高生の実態に迫っていらっしゃいますが、日本の中高生の意識はどのような特徴を持つのですか? |
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まず、中高生の学校に対する意識なんですが、調査結果からみると、日本の中高生は学校に勉強しに行くのではなく、「遊び」に行くんですね。学校の存在意義は「友達」。これは諸外国と違いますね。特に、日本の中学生の女子は友達との交流に対する希望が多いんです。これが大きな特徴と言えますね。
もうひとつの特徴は、中高を問わず、日本の女の子は少人数のグループの中で生活していることですね。女子中高生は小さいグループをつくります。そして、そこに自分のアイデンティティを持つ。ですから、「しかと」といういじめが一番強烈なんですね。グループの中で相手にされないのが一番辛いんですね。
それから、日本の女子中高生は、「明るく」「元気に」「よく話す」ということを大切に考えているのが特徴なんですが、米国では「正義」「友情」「やさしさ」なんですね。これは大きく違うところです。
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最近の中高生は、社会に対する期待が少なく、自分の将来に対する期待も少ないとお聞きしましたが? |
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一九九九年に行った「中学生・高校生の二一世紀の夢に関する調査」では、そのことがはっきり表われています。「二一世紀の社会や生活についてどう思うか」という質問で、いくつかの項目について尋ねたのですが、例えば「人類にとって二一世紀は希望のある社会になるだろう」という項目に「とてもそう思う」「まあそう思う」と答えた中高生は、日本では三割程度なんですね。一方、中国では九割近い。アメリカや韓国でも六割以上ですね。かなり差があります。
一方、「自分の将来の目標を決めているか」という問に対して、「はっきり決めている」と答えた中学生はたった一七%でした。アメリカでは五割近いですし、中国や韓国でも三割前後なんですね。
日本の中高生は社会に対する期待もないし、自分の将来もあまり考えていないという姿が浮き彫りになっていますね。これを私は「現在享楽志向」と呼んだんですが、これが今の中高生のキーワードですね。今が楽しければいい。先のことは考えないということですね。
以前、渋谷の街で若者の観察・聞き取り調査をしたことがあるんですが、その時、女子高生が言った印象的な言葉は、「未来は今だ」というものなんです。色々と将来のことなどを質問していくと、女子高生は困ってしまって、「だって、今がよければいいじゃん」「未来は今だよ」と言うんです。
これは、やはり豊かになった日本社会を反映していると思いますね。豊かになった結果、目標を失ってしまった。と言いますか、これまで目標にしていたものを達成してしまったんですね。それに、将来のことなんて考えなくてもいいだけの豊かさもあるし、今のことだけ考えていればいいという意識につながっているんですね。
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そういった若者たちは、どのようなことを大切に考えているのでしょうか? |
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さきほどの渋谷での調査は、いわゆる「ガングロ」が盛んな時だったんですが、彼女たちは時代の意味を必死に表現していたんじゃないか、とその時思ったんですね。彼女たちが主張したかったのは「差異」なんじゃないかなと。
豊かになった今、「食べる」「眠る」「休む」といった一次的な欲求は満たされているんですね。それで次に求めるのは「差異」なんですよ。他人と違うこと、差異欲求ですね。それで、ああいう格好をしたんです。
ところが、一方で、彼女たちには彼女たちのグループ意識もあるんですね。ガングロもやはり少人数の仲間がいた方がいいんです。電車で一人渋谷から帰っていく子を見ると、とても寂しそうですよ。差異を主張していても完全に孤独になると寂しいというのが日本的特徴ですね。
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差異を主張したい。けれども集団にも所属したいということですね? |
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そうですね。この新しい価値観には2つの原因がからんでいて、ひとつは日本人的な「みんなと一緒」という部分、もうひとつは豊かになってきて社会が変わって「差異を主張したい」という部分なんですね。それが合わさって、集団で差異を主張するように見える行動になっているんですね。
差異を主張したいという行動は、簡単に言うと「目立ちたい」ということになりますから、学校などにもガングロのまま通ったりするんですよね。
面白い話がありまして、私の知人で中学のPTA会長をやっている人がいまして、その子どもがガングロなんですよ。立場としては具合が悪いんですよね。それで、卒業式が迫った頃に、子どもに、「まさか、お前その顔で卒業式に行くんじゃないだろうな?」って聞いたんですって。そうしたら「当たり前じゃないの」って言われてしまったんだそうです。しょうがないので、恐る恐る学校に行って、先生に「あの顔で卒業式に出席させますか?」と、暗に学校で止めてほしいということを頼んだのですが、先生には「とんでもない、やめさせようとしたら大暴動が起きますよ」と言われてしまったそうなんですよ。「どうぞ、ご自由な格好でいらっしゃってください」と・・・ |
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これらの中高生の意識は歴史的に見るとどのように変化してきているのですか? |
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歴史的に見ると、大きな変化として捉えられるのは、古くは「新人類」と当時言われた世代から変化していますね。「新人類」という言葉が生まれたのが一九八五年頃ですが、これは、一九六○年代後半から一九七○年代にかけての高度成長期に育った世代なんですね。このころから日本は急に豊かになりましたよね。これが影響していますね。
私は、自分の造語で「巨人の星から筋肉マンへ」と呼んでいるんですが、子どもたちのヒーローがそういう風に変わってきたんですよ。「巨人の星」のように頑張って努力して、というキャッチフレーズでは人は動かなくなった。変わったこと、面白いこと(「筋肉マン的」)がもてはやされるようになったんですね。そして、クラスのリーダーが変わったんですよ。それまでは真面目で勉強の出来る子が決まってリーダーだったんですが、この時から冗談を言ったりユーモアのある子がクラスの人気者になっていった。豊かで目標のない社会だから、クラスにもリーダーという存在そのものがなくなってしまったということもありますね。
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最近の動きとしてはどうなんですか? |
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今もこのような流れは変わることはないですね。特に、新人類と呼ばれていた世代が今、小中学生の親になってきています。それが一層加速化させている面もあります。
子どもたちの意識の中では、ますます勉強の価値がなくなっています。また、決定的なのは「偉くなると損をする」と言う考えです。なぜかと言うと、責任ばかり重くなる。もう一つは自分の時間がなくなる。非常に個人志向が徹底したおかげでこういうことになっているんですね。豊かになって何を求めるかというと、余暇のようなものを重視するようになった。責任は持ちたくないし、仕事ばかりしているのはいやだ。突き詰めていくと、「偉くなると損する」ということになるんですね。
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そういった若者たちは、どのようなことを大切に考えているのでしょうか? |
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諸外国との比較という意味では、やはり女子の方が特徴がありますね。男子は、比較的特徴が少ないですね。目立ちたいという傾向も女子の方が顕著です。現在享楽的なのも女子の傾向ですね。
男の子は自分の将来を考えなければならないという肩に荷物背負っているでしょ。だから、今がよければいいと言ってふらふらしていられないんですよ。これは、外国とは違いますね。諸外国では男女の差はあまりない。日本の親のプレッシャーの与え方が男の子と女の子では違うんですね。 |
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特に、学年などで特徴はあるのですか? |
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そうですね、中二は非常に特殊ですね。調査結果では中二が他の学年と比べていろいろな点で特徴ある結果が出ています。これまで話したような特徴もそうですが、例えば、最近問題になっている「キレる」という現象も中二が多いという調査結果が出ています。
それには二つ理由があると考えています。まず中学に入ると初めて相対的な順位をつけられますよね。そうすると、自分が将来どこまでいけるかが分かる。大学ならどんな大学か、理系か文系かなど、自分の位置づけが分かるんです。それから、近頃はいい大学を出たからといって、必ずしも将来を約束されない。大企業が倒れたりしてるし。こういったこともだいたい中二で分かります。これは日本特有の意識ですね。そういう社会の状況の中で自分はどうあるべきか。社会における自分のポジションが分かるんですね。自分の先が見えると言うのかな。
それから、小学校と違い、教科ごとに先生が変わる。しょっちゅう話をする先生がいなくなる。そういう変化もあります。中一は、そのものめずらしさに適応する一年なんですね。それが中二になると落ち着くんですよ。三年生は公立に通っていれば受験があるので、目標がはっきりする。中一は「適応」、中三は「目標」。そういう意味では中二は曖昧な存在なんですよね。この二つが理由で中二の特殊性というのが出ているんだと思うんです。
これは、諸外国との比較の調査結果でも明らかです。米国では子どもたちは相対的な自分のポジションを感じません。学校の授業でも、答えが分からないのに「ハイ、ハイ」って手を挙げますよね。それもそういうことから来ているんですね。自分は無限の可能性を持っていると思っているし、先生や親や社会もそう言う。それが米国の中高生です。
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いまの中高生の意識については、だいぶ分かりました。それでは、千石先生は、これから中高生にはどのようになっていってほしいとお考えですか? |
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そうですね。「いい自己決定をしてほしい」ですね。未熟でない自己決定というんでしょうか。
日本の子どもの切り札は「自己決定」なんです。自分が責任を負うと言うのが殺し文句なんですよ。例えば、学校での制服廃止運動でもいいんですが、先生たちと戦って、制服廃止を勝ち取った場合、その後の服装はみごとなんですよ。乱れが無い。自分たちで決めるときちんと責任を持ってするんですよ。つまり、自分で決めたことは自分でちゃんとしなくちゃいかん、という考えを持っているんですね。
これは前提として、日本の中高生が自分で決めることが出来る立場にいるということがあるんです。つまり、自由なんです。
他の国では、子どもに自由を与えないことが多い。中国なんかでも自分で決めるなんてとんでもない。フランスでもそうですよ。日本の子は自由。米国もきっちりしている。
日本の中高生は自由をいっぱい持っているので、自己決定できる立場にある。だから、自己決定させるというのが切り札になるわけです。 |
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意外ですね。米国の子どもの方が自分で色々と決めているような感じがしますが。 |
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そうでは無いんですね。携帯電話でも、米国の親はだいたい許可しない。だから、持っている子は少ないですね。親のコントロールが厳しい。帰宅が遅かったりすると、なぜ遅かったか、なんていうことを徹底的に詰められる。その厳しさをかいくぐって悪さをするから、米国人はたくましいんですけどね(笑)。それに比べて日本人は自由ですね。
そして、もうひとつ面白いのは、日本の親は知っているんだけど知らない振りをする。知ってると、叱るでしょ、すると喧嘩になるの。そうすると家庭に葛藤ができる。それを日本の親は避けるわけね。だから叱らない方がいい、だから知ってても知らない振りした方がいい、となる。もっとコントロールしろ、もっと規則をつくれとは言いませんが、せめて自分で責任をとれるように、いい自己決定をしなさいよ、と中高生に言いたいですね。自由があることは前提として、決めるときは責任を持って、ということです。
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中高生に対して「責任を持て」と言ったところで、実際にはなかなか難しいのではないですか? |
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そうですね。ですから「親や社会や先生がもっと叱れ」ということを言いたいですね。悪いことをする若者たちは、悪いことの事実の認識がない。成人式でクラッカーを人に向けて鳴らしたり、お酒をかけたりするのは、それが悪いという認識がないからなんですね。社会における「悪い」ということが分かっていない。なぜかというと、それが悪いということを親や周りの大人に言われないで育った、叱られないで育った、これが大きな原因ですね。
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親にも問題があるということですね? |
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そうですね。日本のお母さんも、若い方ほど、自分の生きがいを重視する傾向にあります。「子どもは子ども」、「自分は自分」。子どもに介入しなくなっています。それがいい親だと思っている。これが間違っていると思いますね。
それと、さきほども話が出たように、親の世代が豊かさを享受した世代になってきたということも影響していますね。自分たちが自由にしてきているから、子どもに対しても、そうしている。親が変わってきているということは言えると思いますね。 |
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それでは、学校としては何ができるでしょうか? |
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学校は立場が悪いですね。「学校を尊重する」「先生を尊敬する」、そういう価値観が日本人に少なくなったでしょ。悪いことをすれば出席停止、なんていう権力は持ってますが、ほとんど使わないし。
先生に対する尊敬の念が少ない中で子どもを叱るのは至難の技ですね。今の子どもたちの親の年代が先生の「尊敬」を潰してきた世代だから、これは難しい問題ですね。
そして、先生が尊敬されていないと、「えこひいき」が一番問題になりますね。言うことを聞かない生徒の相手はしづらいんですよね。だから、言うことを聞く生徒だけを相手にしてしまう。文部科学省は、そういう生徒こそ大事にしてください、なんて言いますけれど、それは実際は簡単じゃない。
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では、尊敬してもらうにはどうしたらいいのでしょうか? |
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一番尊敬してもらえる先生というのは、よく話を聞いてくれる先生なんです。そのためには、生徒とよく接触しなくてはいけないですね。でも、先生は忙しいんですよ。普通にしていても毎日夜遅くまで仕事をしていらっしゃいますよね。しかし、何とか頑張ってもらうしかないですね。
日本の先生は、教えることで尊敬されるんじゃないんですよ。先生とは「全人格的な存在」なんです。信頼されて尊敬されるのは全人格的に優れた先生なんですね。これは実際には難しいですけれどもね。
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よく聞いてくれる先生が尊敬されるのは、子どもたちにどういう感覚があるんですか? |
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自分を理解してくれるということですね。オリンピック金メダルの高橋尚子選手の監督もよく話を聞いて、よく相手を理解して、よく誉めるらしいですね。これがいいんですよね。
できの悪いと思われている生徒だって、何かしらいい所があるでしょう。それをよくつかんで誉めるんですね。それが一番いいと思います。
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家庭と学校の教育の分担に問題があるような気がしますが? |
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そうですね。日本の学校はかなり広範囲の責任を負わされるようになっていますね。毎朝、校門の前で「おはよう運動」をやったりしている学校もあるようですが、挨拶は学校で教えることなのか、ということですね。それから、本当は校門から中が学校なんですけれど、実際は、外で起きた問題まで学校の責任にされますね。
これは、外国では違いますね。例えば、米国では学校外のことは先生は知らない。校門を一歩出たらもう知らない。よく米国で論争になるのは、「スーパーで自分の学校の生徒が万引きしているのを見たらどうするか」という問題です。実際、たいていは何もしないですね。何かやると逆に裁判になることがあるんですね。「親権の侵害だ」ってね。「お前は何の権限があって、そんなことを言うんだ」って。だから学校の先生は、そういう時は口出ししない。
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米国の方が家庭の教育の責任範囲が大きいということですか? |
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そうですね。日本では学校が何でもかんでも責任を持っている。「しつけ」も学校でしてください、なんていうことは外国ではおかしい。
日本では、家庭で自由にやらせておいて、しつけまで学校に押し付けているような状況になっているんですね。この辺が日本での考え方のおかしいところですね。
日本の親は、子どもの勉強に生きがいを見出して全部プレッシャーをかけるよりは、自分の生きがいを追求した方がいいという二分した考え方をしますね。米国では、これが両立してますね。米国では、自分の生きがい、趣味はちゃんと持っていて、それでいて、「今日は、いやなことだけど、子どもにきちんと叱らなければならない」と言う。日本のお母さんはいやだからやめちゃう。その違いですね。
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いまの中高生が将来に対する夢を持てないということに関して、学校が関与できる部分はありますか? |
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スポーツの世界ではやりやすいと思います。目標を持ちやすいですから。だから、部活に入っている子は比較的、現在享楽的な傾向は少ないですね。アルバイトやボランティアをしている子も割といいですね。
これまでは、勉強を一所懸命して、いい大学に入り、いい企業に勤めるといったものが目標になっていたと思いますが、それが崩れたから、みんな困っているんですね。勉強が目標にならない。ごく少数の勉強ができる子は勉強をやることが楽しいから目標にもなり得るんですが、大半はそうはなりません。概して言えば、高校生になるとアルバイトかボランティア、クラブ活動などにアイデンティティを持っています。そうしないと自分の存在意義が持てないんですよね。でも、それはいいことなんですよ。様々な目標を持つことはいいことです。
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さきほど、中二でだいたい自分の目標みたいなものが分かるという話がありましたが、学校でもその時期に何かしてあげることが大事でしょうか? |
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そうですね。非常に揺れ動いている時期ですから、この時期は大切ですね。きちんとケアすべき時期だと思います。
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大企業に入る価値観が崩れたあとは、子どもたちにとっては何が大切になるんでしょうか? |
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これからは様々な目標というものが有り得ますから、得意分野をつくることですね。スペシャリスト志向ということです。最近、スペシャリティについて、多くの資格が設定されています。介護福祉士とか保育士とか。そのための専門学校も多いですよね。こういった資格はなるための基準が明確ですから、目標にはしやすいですね。
今は、社会が不安定ですから、自分で生きる糧を持つということが大切になります。学校としてもそういった自分なりの目標を持つように指導していった方がいいですね。何でもかんでも大学に進学しなさい、ということではなく、多様な進路を選ばせればいいと思いますね。
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千石氏は、近著『「普通の子」が壊れてゆく』の中で、現代の日本社会を「偏執蓄積型社会」と呼んでいます。つまり実社会で役に立たない勉強をこれでもかと、偏執狂のように詰め込み、よい学歴、よい就職に向って子どもたちを一斉に競争させるような社会だということです。最近の子どもたちの「学級崩壊」や「不登校」「キレる」といった行動を、このような社会からの逃走行動として捉えているのが異色の分析と言えるでしょう。
いま、ちょうど世紀の変わり目でもあり、社会は大きく変化しています。大企業の相次ぐ倒産やリストラという中で、有名大学に入り大企業に入ることが必ずしも「幸せ」とは言えないという風潮に変わりつつあります。いま、日本社会、そして教育界は、これまでの価値観とは異なる二一世紀のパラダイムを模索している状態にあるのではないでしょうか。 |
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「私学マネジメントレビュー」第1号(2001年4月発行)より転載 |
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